どうも、たけうちです。
他人の言動、行動にイライラしがちだったりしませんか?これは単にあなたが短気だからではありません。実は過去にその原因があるのかも、、、?
一緒に紐解いていきましょう。
他人にきびしく指摘していることを自分ができてない人

私たちは日常の中で、誰かが他人の振る舞いや性格を厳しく批判している場面を見かけることがあります。
そして時には、「その人こそ、できていないのでは?」と思ってしまうような矛盾にも出会いますよねー。
たとえば、マナーにうるさい人の言動が、とても不躾だったりする。こんな状況、思い当たる人も多いのではないでしょうか。
以前から不思議に思っていました。
「なぜ人の弱点を鋭く突く人ほど、自分も同じことができていないのだろう?」と。そこには、心理的な背景があるようです。
投影という心理

心理学には「投影(プロジェクション)」という概念があります。
これは、自分の中にある未解決の不安や劣等感を、無意識に他人に映し出してしまう現象のことです。一種の防衛反応なんですね。
たとえば、自分がマナーに自信がない、あるいは気にしているからこそ、他人のマナーに過敏になってしまう。
「自分は全く褒めてもらえない、ダメだしばかりされる」と愚痴をこぼしていた先輩が、自分は後輩に対してダメ出しばかりしているところ。
人のビジネスマナーに五月蠅い課長が、お客さんのいる前で居眠りするところ。
あーこれが投影かーと思いました。
逆に言えば、人の振る舞いがやたらと気になる時、自分の中に同じテーマがある可能性があるのです。
さらに、過去に人から注意された経験が影響している場合もあります。「自分は努力してきたのに」という思いがあると、「他人もそうすべき」という気持ちが強くなる。
これは正義感にも見えますが、その裏には「ちゃんとできていない自分への不安」や「頑張った自分を認めてほしい」という気持ちが隠れていることもあります。
そして、この「劣等感から目を背けるために他人を批判する」というパターンは、批判という行動以外でも現れます。たとえば、成果や数字に過剰にこだわること、高価な物を身につけて自分を大きく見せようとすること、過剰な自己アピールなど。
これらは一見すると自信があるように見えますが、実は「自分の価値を外から補強しようとする」行動なのです。
正しくない他人が気になる

私自身にも、完璧主義的な傾向があります。
他人の正しくない発言がとても気になるのです。本当にちょっとした間違いも気になる。私がやっているのは「ボクシング」ですが、「キックボクシング」と言われてむかついたり(笑)
でもこれは、どこに原因があるのだろうかと、試しに掘り下げてみると、幼き頃に原因がありました。
百姓(ひゃくひょう)って日本史に出てくるじゃないですか。でも私はこれを「もくひょう」って思い込んでいて、それに対して母親から「はあ?」と言われたことがトラウマに。
曖昧な発言をしたときには批判をされるから、「正しい発言しかしてはいけない」と自分自身に呪いをかけていたんです。
そこから派生して、「ちゃんとやらなきゃ」「ミスしたらダメ」という意識が強くなり、誰かのちょっとしたミスに過敏になったり、でも自分もできてないやと自分を追い詰めてしまうことがあります。
いやですねー(苦笑)
でも最近はここに気づけたからこそ、そうやって他人に無意識に押しつけている自分に気づいたら「気づいた自分OK」、「どんな自分でもOK」と呪文のように言い聞かせています。
そうやって内面で自分を抱きしめることができたとき、他人にも自然と優しくなれる気がします。
『完璧じゃなくても、自分を認めてあげられる心の土台』を醸成する、これが自己肯定感の育みであると思っています。
誰しも劣等感はあるし、完璧な人なんていません。だからこそ、まずは自分の中にあるものを静かに見つめ、「そうだよね」と受け止めることが、よりよく生きるヒントになる気がしています。
まとめ
まとめると、
愛知県人の自分も関西弁喋ったりするくせに、他人のエセ関西弁は気になってしまいます
以上です。
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