はーいどうも、会社員&俳優、めんどいから『リーマン俳優』と最近名乗っている、たけうちです。
以前の記事の中で、今年明けにワークショップから演劇の世界に足を踏み入れ、楽しくなって、公演付のWSに挑戦したら、かなり成長できたなあみたいなことを書いた記憶があります。
単発のワークショップで学んだことを、中長期で濃く実践する場も必要で、その機会があって良かったなあという気持ち。
ということで、公演付ワークショップである『名前のない役者達B』に出演した体験記をツラツラと書いていきます。
名前のない役者達とは?
『名前のない役者達』とは、『名前はない劇団』が主催する『名前のない演劇祭』に、個人で出演できるWS公演企画です。(早口言葉みたいやな)
*『名前のない演劇祭』は、仕込みや制作などを全部お任せでき、一枠30分の単位で、個人、小さな団体でも気軽に公演が打てる素晴らしい企画
今回私が参加したのは、『名前のない役者達』企画の第9弾である、『名前のない役者達B』です。
誰でも参加できるもので、応募後、前金2万円支払いで、毎週末計8回の稽古と3回の本番に参加できます。お得お得~
学び・気づき・成長
この公演を通した一番の成長は『オープンな自分』を少しずつさらけ出せるようになったなあということ。
私の精神は、みぞおちより下のあたりで低温度で安定しているのが常ではありますが、毎週4~6時間の稽古という荒療治で、胸くらいまで中~高温度に引揚げられるようになりました。
まあ普段読んで頂いている方は分かるかもですが、私がこのブログの文章を書いているときの高揚感、ハイテンションみたいなのを、文章上での表現だけでなく、ちゃんと外に出しやすくなったと言ったら分かり易いでしょうか。
そしてその土壌のおかげなのか、人とより繋がりやすくなった気がしているのです。簡単に言えば、芝居の中でも、俗世の中の生活でも、人の目を見て会話できるようになりました。これ結構大きな変化ですよね。
仕事でも良い影響が出ていて、私は採用担当として、インターンシップなどイベントを開催することも多々なんですが、公演後にインターンシップで司会をしたときに、直属の先輩から「竹内の司会すごー!ビジネスゲームめっちゃ盛り上がった!」と褒められたのです。
そして、座談会の場面でも、学生さん一人一人の目を見ながら会社の魅力を伝えられ、満足度高く帰ってもらえました。
それまでめっちゃ暗かったとかそういう訳ではありませんが、なにかとアップアップしていたり、学生さんと接するのに緊張していたりしていました。『オープンな自分』の対極というか、『内に閉じていた状態』ですよね。
内に閉じる原因はやっぱり、「失敗したくないなあ」という自己防衛本能が働いていること。そしてそこには、「かっこ悪い自分を見ていたくない自分」がいて、等身大の自分を自分で認められない状態。
インプロをやってみたときの記事でも同じようなことを学んでいますが、その学びがようやく実感を持てるようになってきたというわけです。
「上手にやらなきゃ」ではなく、「下手でも良いから伝える気持ちを持って相手と接しよう」
ベクトルが自分から相手に向き意識ができるようになったことに、自分でも驚いているところであります。
結局は、最大限やって、自分の枠をちょっと広げて、また最大限やって、またちょっと広げて、を繰り返すことで自分のキャパが広がっていくんだなと感じるところですね。
そのキャパの大きさは自分以外のところに視点を置く余裕となり、相手とのより良い関わり合いに繋がっていく。素敵です。
応募から本番まで
以下では、応募から本番まで、ざーっくりと体験記を書いてきます。
締め切り後に応募したら
そもそもなぜ役者達に応募したのか。
自団体でも演劇祭に出る企画は走っていましたが、15分の短編、1回のみの出演の予定だったために、物足りなさを感じたのがきっかけでした。
それが、5月末くらい。そんな気持ちをぼんやりと抱えながら、ワークショップなどを探しつつXを回遊しているときに、『名前のない役者達』の公式Xを見つけました。
『役者に集中できる公演付のWS』とあり、「おおこれだ!」と思って、勢い任せにDMを送った後で、詳しく応募概要を見たら、締め切り過ぎてました(笑)
「待て、締め切りw昨日やんwwwwww」
あまり勢い任せに行動することは普段ないのですが、その時は取り憑かれたように行動してしまい、しかも応募期限過ぎてから応募するという無礼な行為も滅多にないので、なんだか自分で可笑しくなってしまいました。
(ちゃんと「すみません、締め切り見落としてました。ご放念下さい」と送りましたよ?)
「まあこれもタイミング合わなかったならそういうことで、また別のチャンスがあるってことだな、ハハっ」と、言い聞かせ、青一つ無い雲空を眺めていると、なんと事務局から「キャンセル待ちの状態になるので、また連絡させて頂きますね」と返答。
おん?チャンスがある?と淡い期待だけ持つようにして、辛抱強く待ちました。まじで、催促もなしに、数週間じっくり待ちました。すると
「キャンセルが出ましたのでご参加頂けることになりました。芝原さんチームに参加頂き、本番は8/7,13です。問題なければ正式に応募手続きをお願い致します」
熱い全肯定漢 芝原れいち(劇団イン・ノート)
私が参画したのは、劇団イン・ノート主宰の芝原れいち氏(以下では、れいちさん)のチーム。『名前のない役者達』の企画では、3人の演出家がいて、好きな演出家を選べる形で、各演出家につき、8人~12人程度が集まります。
れいちさんのもとには、12人が参加。半分くらい?学生でしたかね。れいちさんが明治大学卒業なのもあり、既卒現役含め明治大学の方々もちらほらと。
というかさ、ナチュラルに高学歴多かったな。京大卒なの普通に言える空間なの中々無くて新鮮でした。
それはさておき、4人一組で計3Unit。私はUnitA。Unitごとのカラーは後ほど。
タイトルの通り、れいちさんは『熱い全肯定漢』。「素晴らしい!」「スーパー良かった!」「素敵!」が口癖。
演劇柱、全肯定ポジティブの呼吸の使い手なので、みんなの個性、良さを引き出してくれる脚本家・演出家・俳優です。
男を褒めるためのどうでもいい「さしすせそ」よりも、全ての人間が幸せになる芝原語録「すすすすす」を作りたいレベル。
そして一人一人のことを良く見ていて、とんでもなく的確なフィードバックをしてくれます。
それは例えば、
・楽しんでいるときの動きめっちゃ面白かったから、楽しんでるのもっと出しちゃえ
・演技の枠が広がりつつある。もっともっと外してみよう
・もっと共演者を3人を信じて飛び込んでいい
・受け取り、反応が上手なので、相手から受けたエネルギーを貯めておいて放出すると、自分の中で表現を大きくできる
・他の3人だけのシーンのときに、いつもちゃんと観てリアクションしている人柄の良さを今後も大切にしてほしい
・本番で化けるタイプだと思うから、本番は緊張するし怖いけどそれも受け入れてオープンに、楽しむ気持ちで行ってきて!
無意識に自分に制限をかけてしまっているところとか、ちょっとだけ対人恐怖症なところ、精神が低温度すぎるところとか、全部見えてんだなーと、その観察眼に恐れ入る一方で、どの言葉も今後自分の一部にして生きていきたい。まじでまじで。
身体を動かすワークショップを通して、それがだんだんと全部血肉になっていくのも感激しました。
ほぼ自分な『縛られた人』
さーて、どんな戯曲をやったか、というところですが、作品のあらすじはこんな感じです。
がんじがらめに縛られた人間、息を潜めて物運ぶ奴ら、どうでもいい議論に熱中する不毛な人々……空っぽの舞台、俳優4人が無対象で繰り広げるコメディ短編集。
見えない鎖に縛られて、見えない巨大な荷物を運んで、先の見えない会話を紡いで、どうして彼らはあんなにも必死なのか。想像力の仮面を被れば、きっとあなたにも見えてくる。
何も始まらなかった一日の終わり、ある日の日常の中、みみっちい現実から一瞬抜け出すための小さなフェスティバル。
まあこれだけではどんな劇か分からないと思いますが、ここでは自分が演じた役である『縛られた人』にフォーカスして書きます。
『縛られた人』を簡単に説明すると、縛られているのは肉体ではなく「心」。鎖となるのは、心の奥底から湧いてくる「不安」や「自己批判」。本番前の夜、アパートのベッドで眠れない俳優の心の葛藤がテーマです。
表面上は「何者でもない誰か」ですが、本質的には“演じ手本人”の心象を映すメタフィクション的存在。コロスという自分の中にいる色んな自分とのやりとりを通じて、「不安」「自己否定」「焦燥」といった俳優自身の内面が具現化されていきます。
これ配役言われてすぐに思いましたけど、もうほぼ自分ですね。うんまじで。実際演じても思った。うん。本番も観に来て貰った人に「当て書きだったんですか?」と聞かれたレベル。うん。
脚本の構想は私が参加する前、稽古が始まる前からあった様子ですし、そもそも3チーム同じ脚本なので、当て書きではありません。
れいちさん的に、『縛られた人』を書いた意図としては、『好きなことでもどこか重荷になる瞬間。しんどい日常からの逃避なのに、逃避先もしんどいときの心の重さ』みたいなところを脚本に起こしたと確か言っていた気がします。
いやね、でも『縛られた人』演じるのしんどかった。情緒不安定でしたもんちょっとだけ(笑)
演じるにあたって、脚本の文字の上に自分の実感を乗せるという作業が必要じゃないですか。
つまり、自分にとっての鎖はなにで、なにが解放の糸口になるのか、というところですよね。
で、自分の不安に腰を据えて向き合いますやん。
辛い辛い
言葉に起こすと心に来るものありますね。普段見ないようにしてるから。
不安感じやすい性格なだけに人に言うのも怖いじゃないですか。みんな受け入れてくれるの分かってたけど。
ちなみに私にとっての不安や恐怖は、『世の中にとって自分が無価値だと分かってしまうこと』です。
「かっこ悪い自分を出したくない」「無能なのがバレたくない」みたいな感じ。
不安に感じてること、失敗してしまうこと、パニックってる様子、自分に住まう検閲官が認めないことは表現できず飄々としてしまい、端からは分からない。人に頼りづらく、自分で抱え込む。おお~こわっ。
お分かり?世の中ではこれを完璧主義というのであるよ☆
そりゃさ、幼少期、親から否定ばっかりされてたから、無価値感抱くのは当然なんだけどね。
まあまあ最近は、心理カウンセリングや演劇のおかげもあって、「実際はそんなことはなく、どんな自分でも出して良い」という許可を少しずつ出し、だんだんとロックを外せるようになっています。心配しないでください(笑)。
とはいえ、ちょっとしんどかったー。
素を出しながら演じるために必要なエネルギーの大きさを学べた役でございました。
脳裏から離れないひばり姐さん
作品の終盤、美空ひばりの「川の流れのように」が流れます。これまでサビ部分くらいしか聴いたことなかったのでちゃんと聴いてみたら、まじ良い曲~。
例えばね、
「知らず知らず歩いてきた」「細く長いこの道」「地図さえない、それもまた人生」「生きることは旅すること。終わりのないこの道」
→知らず知らずのうち歩いてきて、振り返れば元いた場所があんなに遠くにあるかもしれない。自分で選んできたようで、そうでもなかったのかもしれない、どこ歩いてんのか分からんときもあるよね。でもな、それもまた人生や。
「雨に降られてぬかるんだ道でもいつかはまた、晴れる日が来るから」
→人生は思い通りにならないかも。不安を抱えながら、不幸が降りかかりながら、歩いて行かないといけない。でもな、病まない雨はない。また晴れる日がやってくるのだ。
「ああ 川の流れのように ゆるやかに いくつも時代は過ぎて」
→ 一定でありながら、常に違う流れを生む川と、変わり続ける人生。悲しみや喜びも包み込み、自然に流れていく感覚。身を任せながら、不安を抱えながらでも前に進もうよ。
計画通りにはいかない人生を川の流れに例えて、そこに身を投じて、そして、受け入れていく美しさ。
それを肯定的に歌った一曲。
もうさ、縛られた人とリンクしちゃって、自分の人生にリンクしちゃって…..!
そこに愛はあるんかってね!!!(違う)
もう……姐さん!!!
同じ脚本なのに違って見える(各Unitの特色)
ここで、各チームの特色についてもご紹介しておきましょう。同じ脚本なのに、チームのカラーが出て、違う作品にできあがるのすごいなあっていうのを書きたいだけです。
私がいるUnitAは、マジでみーんな一生懸命。それが役を演じる時にとても出ていて、エネルギーに溢れるような芝居ができていきました。他方で、ちょっとだけオモロイことを言い合ったり、踊ったり(?)して、子供のような無邪気さも持ち合わせていて、バランスの良い4人組です。
私が役者タイプ的に自分の中でエネルギーを大きくして放出するのも得意ではなかったので、エネルギーがいる戯曲をやるのに大変苦労しましたが、手練れの3人がそこをフォローしてくれたために、大変居心地が良く、真心、優しさに溢れるチームでした。
UnitBは、パッション!気合い!芝居大好き!ヨッシャー!!って感じの勢いのあるチーム。(絶対伝わらない)それでいて、誠実に芝居に向き合い、繊細に表現できるのがすごいところ。UnitAは寝転りがちなのに、UnitBはちゃんと芯食った深いディスカッションをしていたのが印象的でした。
UnitCは、若いながらベテランの俳優達のグループ。みなさん小柄ながら、妙な強者感があるチームです。間の取り方だったり、ミザンスだったり、セリフ回しのテンポ感だったり、全てが絶妙で、観ているとワクワクします。めっちゃ。めっちゃ!(本番観に行けないのが非常に残念っ)
といった形で各チームのカラーごとに、各チームに合う演出をれいちさんがつけるので、同じ脚本なのにちょっとずつ違い、違う良さと違う面白さがあって、演劇って凄いなあ、素晴らしいなあと思うところであります。
アドリブ入り長ゼリフ2分半を楽しんでしまってる自分がいる
実は今回、最初と最後に長ゼリフという、演劇歴半年の人間にとっては臆すること間違いなしな脚本・配役。
特に最初の長ゼリフは、1分程度のベースのセリフがあり、そこに1分半程度の自分のアドリブを乗せて、観客に語りかけるというもの。わーお。
でもね、不思議なことに、楽しかったんですよ。
アドリブ苦手なんですけどね私。仕事で電話するときも、電話苦手なのもあるけど、電話掛ける前に台本書いたりするレベルで、アドリブで喋るの苦手(笑)
だから「セリフに縛られなくていいよ」「ベースのセリフに戻って来れなくてもいいから、最低限伝えたいことだけは伝えてもらってあとは自由に話して」というれいちさんからの指示があったときはだいぶ焦りましたが、こういう「焦り」とか「不安」とかを実体験・本音ベースで出しちゃって良いというのはとても新鮮で、それでいて、面白かったんですよね。
そして本番1ステ、2ステでは、緊張はしながらもかなり自由に話した結果、お客さんの温かい拍手や笑いが起き、来週の3ステ目はなに話そうかなーと楽しく考えている自分がいます。(8/13追記:3ステ目が一番ウケて嬉しかった)
ここでも、素を出す、等身大の自分でいる、というところの荒療治と言いますか、今の生きやすさに繋がっています。
社会人で演劇をやれる幸せ
会社員と俳優、この両立ができる時間は奇跡みたいなものだと思います。
演劇は、日々の葛藤、不安、モヤモヤ、怒り、それらを解放できる豊かな営み。板の上で日常とは別の世界を、人と一緒に創っていくその贅沢さ。
出会いや機会が少なくなってくる『社会人』になってから始めた身だからこそ、その機会があることの有り難みはつくづく感じるところですね。
働いているからこそ舞台に持ち込めるものがあり、舞台に立つからこそ仕事の私も変わっていく、日常と非日常のシームレスさも魅力のひとつ。幸せです。
まとめ
まとめると、
来週いよいよ最後のステージ(楽ステ)ですが、名前のない役者達Cにも突撃しようか既に検討中です
以上です。




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