たけうちの人生

こんにちは、タケウチです。

 

自己肯定感という言葉が生まれて久しいですが、まだまだ日本人に自己否定感の強い人が多いのではないでしょうか。

 

自己肯定感を育むには、自己否定感に向き合うことが不可欠です。

 

私はつい最近、カウンセリングやYouTube動画、自身の自己否定感について気づきを得ましたので、共有をしていきたいと思います。

 

なにせ私は自己否定感の強い人間でして、生まれてこの方23年間、自己否定を続けてきました。そんな人間が行くとこまで行くとどうなるかということも正直に綴っていきます。(今現在2024年の3月、社会人一年目の23歳です)

 

幼少期から否定されることの多かった方はぜひご覧下さいませ。

 

Contents

自己否定型の努力で不安を安心にしてきた私の人生

母に否定されたまくった子ども時代

愛知県名古屋市、20代の夫婦のもとに生まれる。

 

幼少の頃はあまり覚えていないが、よく言われた言葉は覚えている

 

「人の話を聞きなさい」「あんたは人に興味がないものね」

「女の子らしくしなさい」「エレクトーンの練習をしなさい」「ぐずぐずしない」

「だらだらしない」

 

特に母親の言葉は否定するものが多かった。恐らく母もそういう風に育ってきたのだろう。

 

とにかく私の母親は、自分の理想に子どもたちを近づけたいがために必死だった。母が考えるレールから少しでも外れた発言や行動はことごとく否定された。

 

また、母自身は「社交的」「解放的」「明るく」「話し上手」な人で、社会で上手くやれる人の典型みたいな性格だった。

 

私自身は母とは正反対で、「一人が好き」「少人数の方が話しやすい」「どちらかというと静かな方」「聞き役にまわることが多い」。

 

そんな母だから、正反対の私を見て、「もっと明るく」「友達をつくれ」など注意されることも多く、自分も母のようにならなければいけない、という観念がすり込まれていった。

 

そして、そうやって母が私を否定しまくる環境の中では、母にどうすれば見捨てられないかを考えなければ行けなかった。子どもは親に捨てられたら生きていけないからだ。

 

ありのままの自分では無理だからと、私は目で見て分かり易いものに頼るようになった。

 

その代表例が勉強である。

親による否定からの子どもなりの防衛策「勉強」「努力」

勉強は分かり易い。やった成果が数値になって表れる。

 

自主的に勉強をして提出をする自習ノート。毎日やった。(先生に褒められた)

小5くらいから始めた進研ゼミ。毎日やった。(親に褒められた)

中学から始まった予習復習。毎日やった。(塾の先生に褒められた)

 

そうして、そこそこ勉強ができるキャラが誕生し、それが今もなお残り続けることになる。

 

娘が良い点数を取ってくることに怒る親はあまりいない。母自身、そこまで勉強が得意ではないが、勉強はやっておいた方がいいという考えだったので、「勉強ができて良い点をとる娘」は大好きだった。

 

人見知りで、社交的でなくとも、勉強ができることはそれらを相殺できるステータスだった。良い点を取ることで、私は親に見捨てられないという確信を持った私は、自分自身を出すことを控え、勉強に価値を見出していった。

 

子どもなりの防衛策と言うべきだろう。

 

上記の例をもうひとつ紹介する。

 

私は母によく「運動神経が悪い」と言われてきた。

 

私は今でこそ「特別良いわけではないが、言うほど悪かない」と思っているが、「運動神経が悪い」と言われすぎたせいで、中学校3年生くらいまで「自分は運動神経が悪いんだ」と思い込んできた。

 

思い込みのせいか、小4のときの50mのタイムは11秒。

 

平均タイムと見比べても自分でもびっくりするくらい遅くて大泣きしたのを覚えている。「運動神経が悪い」とまた母に言われると思った私は、毎日走りに行くようになった。

 

そうするとタイムは11秒台から10秒台に、5年生には9秒台になり、6年生にはもう少し8秒台というところまできて、中学に入ってテニス部に入ると8秒台へ。高校でハンドボール部に入ると7秒台になった。

 

母は最初は「私の方が小学生のとき足が速くて」という自分の子どもに対する謎マウントをとっていたものの、やがて「運動神経が悪い」と言ってこなくなった。

 

こんな感じで私は、母に言われた足りないものを「努力」によって埋めることによって母が満足、あるいはなにも言ってこなくなるような立ち回りをすることで、見捨てられるかもしれない不安を、かりそめの安心に変えてきたのである。

 

そう、ありのままの自分では安心できなかったのだ。

 

大学時代「学歴」に執着し出す

 

数値で分かるもの、目で見て分かるものを得ることで母を満足させ、自分自身をとりあえず安心させてきた私は、そのまま高校を卒業し大学へ。

 

この頃から私は「学歴」に執着し始める。

 

志望大学だった京都大学にボロカスな成績で不合格になり、立命館大学の国際関係学部へ入学した。

 

「行きたい大学に「不合格」になった」この事実だけで、私は大きな不安に襲われることになる。

 

「良い大学に行っているという「資格」・「ステータス」がない」(*立命館も良い大学です)

「自分は目標を達成できない人間。このままでいいのか」(*いいんです)

「結構チャラい奴もいる。私はこんな奴らと同じレベルなのか、ハア」(*ごめんなさい)

 

お分かりだろうか、母に否定されたまくったことで、今度は自分で自分を否定するようになったのである。

 

ここまでの「努力」は、母に満足してもらい、愛してもらうためのものだった。

 

しかしここからは登場人物に「母」が出てこない。心の中に住んでいる「母」が私を攻撃し、攻撃を諫めるための手段としての「努力」になっていくのである。

 

では、続き。

 

立命館大学に行っている自分に満足できない私は京都大学の法学部に編入することを決める。なにかしてないと耐えられなかった。

 

毎日6時に起き、一限が始まるまでの約3時間を英語の勉強にあてた。授業と授業の合間は、必要な予習を終わらしておき、サークルは一応エンジョイして、家に帰ってきたらまた勉強である。

 

新たな型にハマろうとする 「情報発信ビジネス」

母に言われなくなったかわりに、自分で自分を否定するようになった私は、新たなロールモデルを見つけ、それになるために自分を削ったり埋めたりして、その型にハマろうとするようになる。

 

ありのままの自分はそこにはない。形態が変わっただけで「正しさ」「完全」を求め続ける小さいころからのスタンスは同じである。

 

勉強の傍ら、大学1年生に「アフィリエイト」というビジネスに出会う。アフィリエイトとは、商品の仲介販売のようなもので、スタイルとしては本屋に似ている。

 

商品をブログなどのネットページで紹介し、買ってもらえたら仲介料紹介料のようなものが報酬として支払われるという仕組み。

 

(結局私はアフィリエイトには手をつけず、「情報発信ビジネス」をいきなりやってしまう訳だが)

 

そうやって稼いで、フリーランスとしてブログで「自由」に生きている人を見て、「いいな、私もそうなりたい」と思う様になる。大学を出て普通に会社員になるというルートが完全に見えていたのもあって、「フリーランスになろう」と思った次第だ。

 

結局ブログを書く行為自体は社会人になっても続けていて、文章を書くことは得意だなと発見があったので、とても良い経験だったと思っている。

 

とはいえ、「型にハマろうとする」というのはものすごく辛く苦しい道のりだった。(大学3年のときにビジネス自体はやめてやった)

 

私が師匠にしていた人は、大学時代にアフィリエイトを始め、思ったより稼げて、次に彼自身の受験経験をもとにした「受験化学のブログ」にて勉強ノウハウを販売する「情報発信ビジネス」を展開し、うまくいった人だった。月に100万は稼いでいたのではないだろうか。

 

そうして彼は就職はせずにフリーランスとなった。(今現在はフリーランスという生き方も苦しいなと思ったようで、会社員をしながら副業でアフィリエイトをしているようである)

 

ロールモデルを見つけると「私もそうならなきゃ」という思いが強くなる。その人が示す「正しい道」を愚直に進み、少しでもモデルからズレていると、自己嫌悪に陥る。

 

愚直に言われたことを実行し、私は1年間で100記事書き上げ、始めて1年で初収入(一万円)に至った。今はなにも触らなくても広告料で月3000円を生み出すブログである。(今思うと月3000円のキャッシュマシンつくったんだ、すごいなって思う)

 

それでも生活できるレベルには全く到達していない事実に対して落ち込み、もっと稼ごうとするのである。しかし、「会社員になることへの逃避」「お金を稼ぐこと」が目的。

 

そこに全く楽しさはなく、苦しみだけが私の生活を支配していた。

 

京大に受かってしまう

 

ビジネスの話はとりあえずここで一旦以上。型にハマろうとして苦しかったと書きたかっただけだ。

 

まあここからも型にハマろうとする話しなのであるが、話を勉強に戻そう。

 

編入の勉強を一年半続け、予備校に通わせてもらい、無事に試験を終えた。「受からなければ自分には価値がない」という思いの強さと同じくらい「まあ受からんだろう」と思いもあった。

 

勉強から解放され、受からないことを前提に留学の準備や英語の勉強を始めるようになる。時はグローバル時代。語学力くらいなくてどうする。喋れなくては、と。

 

その話は後でするとして、京大の合否はどうだったか。

 

なんと合格だった。

 

自分の目を疑い、今見えている世界が現実かどうかも疑った。私は京大に受かってしまったのだ。

 

燃え尽き症候群になる

京大に合格した嬉しさも束の間、私は燃え尽き症候群になり、燃えかすのような状態になってしまった。

 

理由はお分かりだろう。○○をしたいという理由で京都大学を受験しなかったからだ。京都大学に受かることが目的になってしまっていて、その先は全くやりたいことがなかったのである。

 

京都大学に合格したことが分かった12月。受験戦争を終えて、自由を手に入れたはいいものの、なにをしたらいいか分からなかった。

 

上にも書いたが、ただ今後役立ちそうだからという理由で英語を学んだり、情報発信ビジネスに力を入れてみたりしたが、自分の中でしっくり来なかった。

 

コロナ禍だったので、サークル活動もあまり活発ではなく、仲間に会える頻度も少なかった。立命館大学を退学するのに、追加で単位を取る必要性もなく、テストにも身が入らない。

 

かといって、アルバイトを始める気にもならず、お金を浪費する毎日。

 

春休みに入るともっと悲惨だった。

 

毎日を襲う「暇」。朝起きて、ランニングをして返ってきても、まだ10時。なにをしようかと、Netflixで海外ドラマを観るが、ずっと見続けていても飽きてしまうし、こんなことしてていいのかと自己嫌悪に陥る。

 

適当にお昼を食べて、パソコンを持ってコメダに出かける。いつものようにブログを書いて、収益が増えない理由にひたすら頭を悩ませる。

 

パソコンをパチパチし終わってもまだ夕方4時。まだご飯まで時間がある。ああどうしよう。

 

ここ五年ほど、「役立ちそうなこと」ばかり追いかけ続けたせいで、自分がなにをしたいのか、心の声が全く聞こえなくなってしまっていた。

 

やるべきことばかりに追われてきたせいで、それが無くなった途端に訪れる「暇」がとんでもなく苦しいのである。

 

消費活動ばかりしていても罪悪感に襲われるし、情報発信ビジネスや英語の勉強をしていても、全く伸びない苦しさを味わう。

 

唯一の救いはアカペラサークルの活動が週に1回か隔週に1回かあったことだ。気心知れた仲間達とzoom越しでも話すのは楽しい。

 

当時は録音したそれぞれの歌声を合成して、一つのアカペラにする「リモートアカペラ」の形態にせざるをえず、直接声を重ね合わせる快感はほとんどなかった。

 

それでも時々、近くの公民館に集まって、発表する先のない楽曲をわちゃわちゃ3時間くらい練習するのはストレスの発散になった。

 

しかし、その楽しい時間が終われば、「暇」に襲われる。今思えば、なにかバイトを始めれば良かったのであるが、当時の私は今よりも臆病だった。

 

新しい環境、新しい人間関係が怖いし、1回生のときカレー屋のバイトでうまく動けず、毎回怒られるのが嫌になって辞めてしまったことも強く影響していた。人と関わる仕事は向いていないから、始めてもすぐに嫌になって辞めてしまうだろうと思った。

 

毎日が暇で嫌なのに、それを上回るくらい嫌なのだった。

 

もし仮に弁護士になって弱者を救いたいというビジョンがあって、京大法学部に編入することを決め、見事合格をしていたなら、恐らくこの期間中に、夢中になって法学の書籍を読んだり、面白そうなゼミ選びをしたり、裁判所に膨張に行っていたのだろう。

 

なにかの形になることを追い求める生き方で生きていたから、燃え尽き症候群はなるべくしてなったのである。

 

社会人へ

京都大学に編入学してまもなく、就職活動を始めた。

 

大学院という選択肢もあったが(特に親はそっちに行って欲しかったのであろうが)文系の院卒なんて、よっぽど社会人(会社員)向きな解放的でコミュ力の高い人間じゃないと、会社は扱いづらくて、しょうがないだろうと考えた。

 

会社員以外の道も考えてはいたが、情報発信ビジネスの方も、独立するにはほど遠かったし、「好きなこと」すら思いつかない凍った心を持っていたので、とりあえずは会社員と思ったのである。

 

最初は親の希望通り、大企業を選んでインターン等にエントリーしていた。しかし、応募者が多いせいで、選考は途中まで機械的だし、その中で目立つためにPRしなければいけないのがしんどかった。

 

何十人も参加するZoomで手を上げて発言する人が目立てるのであろうが、私は少数人数の前で発言することすらおっくうである。なんでも親のせいにしたくないが、なにか言ったり行動すれば否定される人生だったせいで、自分を出すのに恐怖心があることは事実だった。

 

私の良いところを見つけて肯定してくれた企業

 

それでも就職できないと困るので、あまり目立たなくともできることからやろうと、グループディスカッションがあるときは書記やタイマーを買って出る戦略に出た。

 

これが意外と効果覿面だった。対面の就活イベントで、グループディスカッションタイムがあり、お題が出される。

 

グループディスカッションに慣れていない人が多いと、役割を決めずに話し始めてしまうことがよくある。

 

そのときもそんな感じであった。私は進行役も苦手だし、意見をポンポン出すのも苦手なので、スマホで、タイマー役をして、制限時間10分をカウントしたのである。もちろん一意見は出した。

 

制限時間を終え、全てのグループがディスカッション結果を発表する。その後、それを見ていた各企業から全体に対して批評がある。

 

すると、とある企業から、「タイマーをして時間をはかっていたのは、そこのグループ(私がいたグループ)だけでした。時間の意識を持つとより良いと思いました」とコメントをもらったのである。そう、私のいたグループだけ、褒められたのである。

 

この企業は、私が今勤めている企業だ。当時の採用担当も今は毎日顔を合わせる。「あのとき、竹内さんはみんなが時間見えるようにスマホ画面をこうやって向けていたよね。覚えているよ」と時折言われる。タイマー役でなんと目立てていたのである。

 

その就活イベントでは、4,5社ほど参加していたが、私はその1社のみ選び、面接に進んだ。あり得ないくらいスイスイと話が進んだ。

 

3次面接では人事部長が2時間程、私に対して時間を使ってくれた。

 

「役割を認識して買って出る」「さりげない気遣い」「人のことを思いやれる」「前に出すぎず多くは語らない」「(これまでの経歴を見て)ひたむきに努力が出来る人」と良いところを見つけては、そこを伸ばしていけばいいと励ましてくれた。

 

自己PRをすれば、「演説みたいにハッキリ伝わってすごくいい」とべた褒めされ、ガクチカを話せば、「素晴らしい」と肯定してくれる。

 

次の日には3次面接合格の連絡が来て、二週間後の最終面接では、その面接中に内定を頂いた。

 

燃え尽きて人生を見失いかけ、臆病になっている私に対してでも、可能性を見出してくれる企業があるのだと、少しだけ安心をしたのだった。

 

営業職で

入社後、私は営業に配属された。

 

元々は事務職での採用だったが、組織の再編があり、入社したら営業の枠しかなかったのである。

 

不本意ではあったが、もうなんでもやってみて判断しようという、諦めに近い楽観思想があった。自分なんか選んでくれた企業だ。温かい人が多いこの環境なら、頑張れるだろうと。

 

その読みは、まさに当たりだった。組織再編で、別の会社から出向してきた二人が直属の上司だったが、二人とも人情に厚い一流営業マンだった。

 

「一年目は会社に毎日来てくれればいい」「ゆっくり学んでいけばいい」と言ってくれた。上司がやっている仕事を「やってみなさい」と言って回してくれるし、やってみると「素晴らしい成長ぶり」と褒めてくれる。

 

そうして配属後4ヶ月で「優秀すぎる」からと早めに独り立ちをすることになった。

 

とはいえ、独り立ち後、早くも壁にぶつかった。

 

お客さんとどう会話をすればいいか分からないのである。営業トークはたくさん練習をしたが、その前後の雑談や小話はどうすればいいか皆目見当もつかない。

 

恵まれたことに案件は次々と舞い込み、日に日に活動量は多くなるのであるが、商談の進め方は本当にこれでいいのだろうかと悩むようになった。

自己肯定感とは

話は変わるが、私は話し方教室に大学4回生の6月から通っている。コミュニケーションの技術はもちろん、コミュニケーションを阻害する要素を取り除く心理カウンセリングもやっている。

 

初めはカウンセリングをして、私の自己肯定感がなぜ低いのか、ここまで上に書いてきたことを解説してもらい、心のもちようを学んだ。

 

途中からは、コミュニケーションの技術を学びみんなで練習をするグループレッスンに参加するようになった。

 

社会人になってからも毎月レッスンに行っている。

 

昨年12月クリスマスの日も、レッスンに行った。その日は、参加者が少なく、それぞれの悩みを解消する回だった。参加者のひとりの男性が「自己肯定感を上げるワークがあったら教えて欲しい」と言ったので、ワークをすることになった。

 

ワークの内容は別記事で詳しく書いている。

【生きるのが楽になる】「自己肯定感」を上げる超簡単ワークとは?

 

私はこのとき、営業での悩みもあり、仕事も忙しく、かなり張り詰めていた状態だったようで、先生に「適度に力を抜いて良いのよ」と言われ、ふっと力が抜けて涙が溢れた。心が震えた。

 

このワークのあとで、営業トークの前後でなにを話せば良いか分からないという相談をし、ロープレをすることになった。

 

「初回の商談で先方は部長さん」という設定だ。いつも(悩みつつ)やっているようにやってみると、「いいじゃん。なにがダメなの?」と先生は目を丸くしていた。

 

レッスンのあとには、「竹内さんは自分に対して厳しくしなきゃと思いすぎて、どんどん張り詰めちゃうよね。親の洗脳が強すぎるから、毎日「力を抜いて良い」「しんどかったら逃げて良い」って唱えてね。あと、好きなことをする時間をスケジュールに組み込むこと」と言われた。

 

親に言われないようにする立ち回り方はやがて「自分に厳しくあたる」方向にすすみ、好きなことや自由気ままに過ごすこともないがしろになっていた。

 

昔からの自分ではない「なにか別な形」になろうとする生き方は、このときも健在だった。上司が優秀すぎるが故、彼らのようにならなければと思い込み、思い詰めていたのであった。

あるYouTube動画で苦しみの理由が判明した

年が明け、地震が起きた。インフラ系企業につき、弊社は災害対応に一ヶ月間追われることになった。営業活動からは離れ、事務仕事の時間が多くなった。

 

2月に入り、災害対応が落ち着き、営業活動が戻ってきた。上司が求めるものもだんだん厳しくなってきて、「自分で案件をとってきて成約につなげていくこと」が目標になった。

 

スケジュールが埋まっていないと「内勤が多い」と文句を言われるので、来週、再来週の予定を埋めていくのに必死になる。

 

この焦燥感がたまらなくストレスになった。

 

テレアポをしても100件かけて3件くらい当たれば良い方である。元々苦手な電話で、断られつづける苦痛。心底営業が向いていないと思い始めた。

 

私が思うに、営業は誰彼構わずアタックしていくメンタルと、自分を売り込む愛嬌がなにより大事である。私にはこの2つが全くないとは言わないが、否定され続けて疲れた心ではレジリエンスがないし、自分を出したくない人間が売り込む愛嬌なんてたかが知れている。

 

毎日仕事に行くのがだんだん嫌になっていた。朝起きるのもだんだんしんどくなっていた。事あるごとに消えてしまいたいと思う様になっていた。

 

このまま続けていれば倒れるなと思った。

 

ある日家でベッドで寝っ転がって鬱々としていたとき、とある本が目に入った。

 

「世界一やさしい やりたいことの見つけ方」

 

大学2回生のときに買って、ワークをやってみたものの、働いたことがあまりないし、結果的にもしっくり来ず、本棚にしまいっぱなしになっていた。

 

いつも本棚にしまっていて、目に見える状態にあるものの、このときはなんとなく輝いて見えた。

 

2回生のときにこの本の書評を書いて、著者の八木さんに最優秀賞に選んで頂き、一度面談もしたことがあった。(内容はあまり覚えていないが)

 

八木さん今どうしてんのかな、YouTubeやってたよな、と思いながら、スマホで調べた。

 

3年前よりも、はるかにコンテンツが増えていて、八木さんの自己理解事業は、より繁盛している様子だった。

 

そんな八木さんを見て、そして今潰れそうになっている自分を客観視して、今こそ自己理解をして、やりたいことを見つけて、自分にあった仕事をした方がいいなと思い始めた。

 

YouTubeでは、相談者が直接八木さんにコーチングしてもらう動画があったので、自分の悩みに似ていそうなものを選んで視聴してみた。

 

中でも、 「「なりたい自分を捨てろ」才能を押し殺して周りに求められる自分になろうと努力し続けてしまった女性」というタイトルの動画の相談者の悩みは、まさに自分だった。

 

自己否定型の努力をしてきた人で、現在休職中の相談者。頑張りすぎて倒れてしまった。八木さんは動画の中で、「自分ではないものになろうとする生き方を手放し、ありのままで生きろ」とアドバイス。

 

「凸凹の状態で完全体だ」「このままで完璧だ」と強いメッセージを相談者に伝え続け、相談後には相談者の顔は晴れやかになっていた。

 

私は直接コーチングを受けたのではないにもかかわらず、この相談者同様、ものすごく救われた気持ちになった。

 

自己否定感の強い人はぜひご覧になって欲しい。

 

私はこれまでの苦しみの理由を理解し、自分に合った仕事にいずれ就くことを心に決めた。

 

一見恵まれた人間の真っ暗な心

一通り、私の人生をお話してきた。以下では、私の心の中に巣くっている闇を正直にお話する。読むのがしんどくなったら、次の目次の「自分を否定していても成長はない」まで飛んで欲しい。ちなみに闇は大きくなったり小さくなったりする。これを書いている今は、少し闇がしぼんでいる状態だ。

 

私は端から見て、「良い親のもとに生まれた京大卒の頭の良い人」なんだろうと思う。お金に困ることもなく、ぬくぬくと育てられてきて、勉強は頑張ったんだろうけど、順風満帆で苦労しらずなんだろうと、思う人は思うだろう。

 

上記で唯一合ってるのはお金には困らなかったというところだけである。それだけで「恵まれてる」と思われる。「お金を出してもらったんだから感謝しろ」と強要される。

 

苦痛だ。しらねーよ。生んだならちゃんと育てろよ。

 

なにをしてもなにを言っても否定される子どもの気持ちを考えたことはあるだろうか。

 

そんな親のもとで育ってメンタルが一時ボロボロになったのに、端から「親には感謝しなさい」と言われる青年の気持ちを考えたことはあるだろうか。

 

自分を信じ切れず、だから他人にも全幅の信頼はおけない。自分をだすのが怖くて、人と仲良くなれない。人と比べて勝手に落ち込み、他人の不幸をちょっと喜んでしまう。駅で前を歩く人が遅いとイライラし、混雑した通勤中の電車でベビーカーを見かけると邪魔だぞと思ってしまう荒んだ心。

 

もうどうにでもなればいい、世界なんてはやく滅亡すればいいと思うときもあれば、突発的な病気でコロッと一瞬で死ねたらいいのになんて願っているときもある。

 

そんな自分を抑圧しすぎた荒れた心に対して、なんて嫌なやつなんだとなんとなく客観視するような自分もいる。いつまでも親のせいにして考えるのを放棄するのもどうなんだろうかと考えてしまう自分もいる。その葛藤も鬱陶しい。

 

メンタルの状態が悪くなると、上で紹介した自己肯定感のワークでの言葉も効きづらくなる。もうどうにでもなればいいやと思ってしまう。

 

とはいえずっと落ち込んでいるわけではなく、気分が良いときもあり、病院には行きづらい。元気じゃんって言われそうで行きづらい。自分でも甘えなんじゃないか思ってしまい行きづらい。

(まあ多分、自分に厳しい傾向にある私のことだから、行ったら行ったであっさりと「診断書書くよ。休職したら?」とか言われそうな予感もしているが。)

 

そんな鬱な悲惨な心を抱えた私でも仲良くしてくれる、大学時代の同級生や後輩がいる。

 

自分の心の闇を人に話したことはなく、悩みを共有しているわけではない。(いくら仲が良くても重すぎて話せる内容でないと思う)

 

それでも、友人の存在があることは、自死を踏みとどまらせてくれ、自暴自棄な状態から一旦は引き離してくれ、心の安定剤になってくれているのである。

 

自分を否定していても安心や成長はない

重たい話はここまでにして、希望に溢れる話をしていく。

 

私は八木さんの動画や、毎月のレッスン・カウンセリングで、自己肯定感を育んでいる。もちろん、メンタルが落ち込むときはあるが、そのメカニズムを知るだけでも大変救いになっている。

 

この記事で何度も書いてしまっているが、私は自分をだすのが怖い。それは、人から何か言われるのが怖いからで、母親から否定されてきたことに起因する。

 

「自分を出したら否定される。」「自分が話したことに対して攻撃される。」と思い込んでしまっているのである。

 

だから私は自分からなにか喋るのが嫌いで、質問攻めにされることも苦手。

 

でもそれは「ありのままの自分でいい」と思えてこなかったことが、最大の原因なのである。そのままの自分で、自分自身が安心しきっていないから、人からも攻撃されると信じ切っている。

 

自己否定とは自分への攻撃なのだから、人からの攻撃も怖くなって当然なのだ。

 

それでも「ありのままでいい」というある種、自分を許すことができればどうか。そのままで完全体、自分が自分のままでいいと思えていれば、少しずつでも自分を出せるはずである。

 

自分を出せれば、良好な人間関係も育み易くなり、質問や相談もしやすくなり、成長もできるだろう。

 

話し方教室のY先生は「否定から真の意味での成長は生まれない。許すことで成長できる」と言った。

自己理解の八木先生は「アサガオをヒマワリのように育ててもうまく育たない。アサガオはアサガオの育て方で育てれば、勝手に育っていく」と言った。

 

表現は違えど言っていることは同じである。ありのままの自分を認めて肯定すること、自分らしくいることの大切さ。心が赴くままに行動し、長所を伸ばし続ければ突き抜けられる。

 

私は「ありのままの自分」で生きることを選ぶことにする。苦しむのはもう疲れたからだ。

 

とはいえ自己否定を23年やってきた私は、努力しないこと、苦しまないことの気持ち悪さを感じているところなのであるが。

 

「あなたはありのままで完全体」

ここまでの話をなんとなくまとめる。まあこの記事で言いたいことを詰め込んでおく。

 

欠点がない人などいない。それでもみんななにかしらの長所や個性を持っていて、それぞれに輝ける場所があり、輝き方があるはずなのである。悲しいかな、それに全く気づかない人もいるし、気づいているのに目を背ける人もいる。

 

私は後者だった。

 

「あなたはそのままでいい」、「ありのままのあなたで完全体」、「凸凹で完璧」

 

言葉として知っていても心に響かないことが多い。それは恐らく今までの洗脳が強すぎるが故だと思う。

 

洗脳を例えるなら、「本当はピカチュウ(電気タイプ)なのに、フシギダネ(草タイプ)みたいになろうとしてきた」のである。

 

自分、ピカチュウな気がするなと思っても、その心の声を押さえ込んできた。

 

子どもの頃から、「十万ボルト」や「アイアンテール」を磨いてきていたなら、水タイプやひこうタイプとのバトルなら勝ちやすいのだと学んできていたなら、恐らく私は全く違う人間になっていただろう。

 

とはいえ、ここまでの人生を「無駄にした」と思うかどうかはまた別の話である。これまでの辛く苦しい道のりがあったからこそ伝えられることもある。

 

欠点に注目し平均に育てる日本教育の現状を見れば、同じく苦しんでいる人は多いと推察される。

 

私はまだ「ありのままで生きて良いんだ」と心から思えたばかりの人間ではあるが、世の中、そういう人がどんどん増えていけば、もっとゆとりのある大らかな社会になっていくのではないかと思う。

 

まとめ

柄にもなく、「である」体で文章を書いてみました。(笑)とんでもなく筆が乗ってしまいましてね、2時間くらい書き続けてました。だって1万字だもん、すごくない?

ま、このブログやっている理由がお分かり頂け、少しでも心救われる人がいれば、私的にはブロガー冥利に尽きます。

では、まとめると、

楽しく生きようぜ

以上です。