どうも、最近インプロネームを自分で「マッチ」と名付けてみた、たけうちです。
マッチと聞いて思い浮かべるのは、火付ける方ではなく、ジュースの方でお願いします。色合いが好きなだけです。
*由来はまた別にあります
なんで私、演劇楽しいと思ってんだろ
自分と向き合う休日
さて、週6で会社員として働き、平日の夜は演劇のワークショップ、休日も演劇のワークショップと舞台の稽古なんかもあったりして。それから、ボクシングに転職活動。マグロの様に動き回る毎日なのですが、ほんとにときたま、ほぼ予定がない休日が訪れたりします。
マグロである私が突然立ち止まり、静寂に直面するとどうなると思いますか?
そうですね、ネガティブになります(笑)ええ。
そうして、答えのない問いを自分に投げかけながら悶絶するという休日を送るのです。こういう人をなんといいますか?
そうです、ドMといいます。(自己肯定感が低いところがあるので、「自分なんかが~」とうだうだ言い出す自分と向き合う時間が長いので、余計にMです、すごい地獄♪(^∇^*))
ではどんな問いを投げかけているのか。それは例えば、
「私はどこに向かっているのだろうか」
「若いからいいけど、10年後どうしてるのだろうか」
「今成長できているんだろうか」
「趣味として続けてるけど演劇は何が楽しくて続けてるのだろうか」
「今ある『人とのつながり』がもしも突然なくなったら、それでも私は演劇をやるのだろうか」
お察しでしょうが悶絶してるのが、今現在Now(2025年10月13日(月)スポーツの日)です。
前置きが長くなりましたが、今日はタイトルにもある通り、「なんで私、演劇楽しいと思ってんだろ」の問いに答えてみようかなと思います。色んな要因が絡み合っているので、中々まとまらないかもしれませんが、お付き合いくださいませ。
演劇人の読者さま方は、ぜひ『自分はこういうところが楽しいと思っている』というのをコメント欄にお書き下さい。喜びます。
環境が変わっても演劇を続ける?
さて、転勤で関東に来て、演劇に関わるツールとして『ワークショップ』に出会い、優しい世界がたくさんあることに触れ、そこから演劇・演技の世界が少しずーつ好きになっていった私。
転勤したときには予想だにしていなかったところではありますが、趣味として演劇を続け、日常がより豊かになり、様々な機会がたくさん転がっている関東に来て良かったなあとつくづく思っています。
その一方で、大災害が起きて全部が無に帰したり、いくつかお世話になっているワークショップが終了になったり、あるいは関東から離れることになったら、私は演劇を続けるのだろうか?と疑問に思ったのです。
まあというか、夢に出てきました(笑)
今関わる『人』とのつながりへの愛着や、どこか依存している気配があるから夢に出てきたんでしょう。自分自身の奥深くで、「つながりを失い、孤独が訪れること」を恐れている部分ももちろんありますが。
話が逸れる前に、結論からいえば、それでも続けると思います。
じゃあ一体なぜ続けるのか、楽しさはどこにあるのか。解剖していきましょう。
演劇は、気づきと成長がある能動的な趣味
演劇の楽しいところ
・普段解放できない感情を出せてストレス発散になる
・現実を忘れて、創作の世界で遊ぶ非日常感
・単に大声が出せて気持ちが良い
・共演者とだんだん仲良くなって一緒に創っていく過程が楽しい
・自分の表現が、誰かの心に残る瞬間の届く喜び
いろいろあります。
上記はもちろん感じている部分ではありますが、一番大きいものはこれかな、と。
「演技を通していろんな気づきがあり、自己理解につながり、他者との関係性の中で、自分らしく生きることに繋がるから」
演劇は「感情の芸術」
演劇は「感情の芸術」や「関係性の芸術」と呼ばれます。
すごく単純化すれば、演劇は「日常のありふれた人間模様を切り取って板に乗せる」という営みであるということ。
なにが言いたいかって、要は演劇は『人間の研究の場』ってことです。
演劇を始めてからというもの、良いコーチに恵まれたことは前提として、役を通じて、自分の中にこんな感情があったのか、この感情は扱いづらいのか、それはこういう価値観があるからだな、と気づくことが多々ありました。
また、稽古で色々挑戦して実験して、失敗したり試行錯誤することで、人間そのものを理解するためのヒントを学ぶことができます。
「生きることそのものを学ぶ」面白さがあり、挑戦を通じて自己内省、自己対話、自己成長へ繋がり、それが「日常でも活きる」面白さがあるということ。
ということから私は、演劇は日常からの「逃避」ではなく、日常をより豊かに生きるための“能動的な趣味”と位置づけているなと思いました。
つまり、演劇は「自分を成長させる遊び」です。
稽古での発見、役を通した感情の整理、人との関わりを通じた自己理解。
これらは全部、“日々の他者との関わり合いの中で自分をより活かすための訓練”であり、日常では味わえないほど濃密な気づきをもたらしてくれるもの。
私にとって演劇は、
“人生の観察と実験を同時に行う場所”
なんです。
そう、それが私の、アナザースk…
私多分、成長意欲が半端ない
今回の内省を通して、私は「常に成長したい」と思っている、ということにも気づきました。
自分の奥深くにある『無価値感(成長しないと私には価値がない)』とも、もちろん関連しているとは思いますが、それを別として考えても、「成長するのが楽しい」と思っている自分がいるのも事実だなと。
成長をするには、行動が必要で、行動するには、能動的に取り組もうとする姿勢が必要で。でもそれができる趣味ってなんなんだろうと悶々としていた時期があります。
人見知りなところがあるので、まずは一人で取り組めることをやってみる。でもなんだか楽しくない。
今だから分かりますが、気づきを促進してくれる環境がなかったことが原因でした。
結局『環境次第でモチベーションが変わる』『今の環境が恵まれてるから楽しいと感じている』という結論に帰着しそうで、セルフツッコミしておりますが、どこに楽しさを見出しているのかが分かれば、環境は自分で求めに行けます。
出会い、ご縁を大切にして感謝を忘れず、機会をつくりに行く姿勢があれば、いろんなお誘い、機会に恵まれると思うのです。
成長しなければ、ではなく、成長したいと思える自分で居続けられる演劇。
だから私は、演劇を続けるのだーーーーーーーーーーーーー!
おまけ:「整理」のための執筆活動

執筆の何が好きなのか
ここで終わりにしようかと思いましたが、おまけ。演劇からは少し離れます。
ブログを始めて早7年です。世界史の情報発信ブログから始め、一時期は自作の教材をオンライン販売してました。懐かしいですね。本ブログは、趣味全振り、ほぼ収益と関わりがありません。
子供のときから読書感想文で賞をもらうこともしばしばだったので、書くことはもともと得意であり、好きなことでした。
ただ、執筆に関しても「何がそんなに好きなのか」は考えたことがなかったので、せっかくですから一緒に言語化していこうと思います。
整理の楽しさ
私にとっての執筆の楽しさは、“自分の中を整理し、掘り下げる喜び”です。
つまり、執筆は自己との対話であり、「静かな表現」。
外の世界に向けて発信してはいるけれど、内にあるものを書きたいから書いていて、評価は二の次です。書くこと自体が目的で、結果は副産物。書く過程で、日々の体験の中での自分の考えや想いを整理し、書き表わし終わったら満足です。
*もちろん、記事が読まれて数字が上がったり、感想を頂くのは至高の喜びですよ?感想ください。
演劇と繋げるのであれば、
演劇で「体験」する(身体・感情・他者との関わり)
そして、 執筆で「言葉にする」(内省・整理・再定義)
この循環があることで、演劇は単なる感情の発散ではなく、学びとして自分の中に、そして言葉として残っていく。そして次の体験へ。
演じる → 書く → また演じる
この往復によって、能動性を高め、私は“生き方の解像度”を高めているところがあるのかなあ、と思いました。
以上おまけでした。
まとめ
書いてスッキリしましたが、寝不足もあいまって憂鬱が支配するアンニュイな祝日だったので、今日はセルフ焼肉パーリナイです。よろしくお願いいたします。
以上です。



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