はいどうも、たけうちです。
突然ですが、演劇人のそこのあなた、即興劇はお好きですか?
即興劇は、エチュードや、インプロヴァイゼーション(通称:インプロ)なんかとも呼ばれますね。エチュードはフランス語、インプロは英語で、どちらも「即興」という意味で用いられます。エチュードは元々音楽用語ですから、演劇で言う「即興」はインプロの方が意味としては正確なのk,,,
まあどっちでもいいですね。
本題に戻ります。さて、私はエチュード苦手です!(キッパリ)
大学演劇サークルあるあるですが、おもしろ合戦のようになってしまっていて、ネタが思い浮かばなくて、停滞してしまったという明確なトラウマがありましてね。
どちらかというと苦手というより恐怖の方が大きいのかもしれません。
これを読んでいるあなたもそんな感じで「おもしろいこと言わなきゃ!」で頭が真っ白になってしまったり、エチュード中の自分の提案に否定的な態度を示されたりで、怖い!苦手!と思っていませんか?
しかし、とあることをきっかけに私はその恐怖を和らげ、エチュードを少しずつ楽しめるようになっております。
じゃあ一体どうやって?ということで、この記事では、エチュードはなぜ行うのか、恐怖を払拭するには?そして、エチュードを楽しめるようになるには?というテーマでお伝えしていきます!エチュード苦手な方、必見です!!
*アドリブ芝居に特化したもの、人前でやる即興劇を「インプロ」「インプロショー」と言う人もいますが、一旦は置いておきます。この記事では即興劇全般を「エチュード」と名付け、演技の練習としてやるものを指すことにします。
エチュード(即興劇)の目的
手段と目的をはき違えている人が多い

まず初めに問いたいことがあります。それは、
エチュードをやるのは、なんのためなんでしょうか。
ということです。
舞台上でセリフを忘れたとき、相手の役者が間違えたときに即応するため?
いいえ、違います。即興で芝居ができるようになるために、エチュードをやるのではありません。
エチュードは「様々なシチュエーションとコミュニケーションを学び、それを台本演劇に活かすため」に行うものです。すなわち、演技訓練の一種ということです。
「即興のための即興ではない」ということがポイントです。なんだか目的と手段をはき違えている感じがしますもんね。
私がいた劇団も、コメディというジャンルを軸にした劇団だったからか、エチュードもネタ合戦、おもしろ合戦的な要素が強く出ていました。トラウマは上記に記載した通りですが、台本があってもアドリブやったもん勝ちという空気がありまして、(それはそれで楽しかったですが、)役者をやる時には、それがかなりプレッシャーでした。
トラウマもあいまって、おもしろいこと思いつかないし、「エチュード(アドリブ)苦手」「演劇楽しくないな~」となってしまったんです。
エチュードは「様々なシチュエーションとコミュニケーションを学び、それを台本演劇に活かすため」に行うもの

話を戻しますが、エチュードは役に生きる練習をするための手段のひとつ。
演劇とは、他者とのコミュニケーションで成り立つもの、みんなで創り上げていくものですよね。決して独りよがりなものではないですし、誰かが設定を無視して脚本に逸れた突拍子もない奇っ怪な行動していては成り立ちません。
その状況に身を置いた上で、共演者とコミュニケーションを取って物語を進めていく。「俳優の良い演技は、演技をしないこと」などと、やたらかっこいいこと言う人がいますね。
その通りだと思います。(同意なんかい)
自然体で演じる、役を生きられるようになるための練習法、これが分かるだけでも、エチュードへの恐怖心が少し和らぐのではないでしょうか。
演劇は楽しんでなんぼ

演劇観は人それぞれあると思いますが、演劇を趣味にしている私としては、演劇は楽しんでなんぼだと思います。もっといえば、私は物事を上達させるには、「楽しい」を核にする必要があると思っています。
詳しくはこちらで。
さて、演劇は、舞台上やカメラの前の、本番の演技の瞬間だけでなく、それぞれのアイディアが自由にアウトプットされ形になっていく、その創り上げていく過程までもが、全部が面白いんです。
だからエチュードという練習、うまくなるための過程だって、楽しくあるべきだと思いますし、実際楽しいものです。
劇作家である平田オリタ氏の言葉にこんなものがあります。
「演劇とは、楽しいものです。楽しくなければ、何かが間違えているということです」
「演劇は子供の遊びくらい真剣なゲーム」と表現されるほど、演劇は遊びのように楽しめるもの。楽しくなかったら、なにかが欠けていたり、歪んでいたり、間違っていたりするはず。
私の場合は、エチュードの目的だって、基本原則だって、楽しむ心だって、なにからなにまで間違えていました(笑)
ちょっとした捉え方次第で、つまらない、怖い、苦手と思っていたことが、がらっと変わることは往々にしてあるわけですね。
エチュードとは演劇の練習だ!練習だって楽しんでいこう!ってことで、今楽しくない、苦手、と思っていても、あなたが楽しめるようになり、上達していけるチャンスはまだまだ転がっています。才能がないと落ち込まないで下さい。
では、エチュードを楽しめるようになるためにはどうすればいいのか、考え方や方法をお伝えしていきましょう。
エチュードを楽しめるようになるには?

エチュードを楽しむには、まず原則を理解しておくことが肝要です。
エチュードの原則
①安全 → 自由な発想
②否定しない → Yes, and
③楽しむ
ひとつずつ見ていきましょう。
①安全 → 自由な発想
原則ひとつめの、安全とは「身体的安全性」、「精神的(心理的)安全性」どちらも含みます。エチュードには、その性質上、「他人を傷つける可能性がある」ということを認識しておく必要があるのです。
例えば、「急に殴られるかもしれない」とか「性的な部分に触れられるかもしれない」という恐れがあると、安心できませんよね。身体的安全性がありません。
また、身体的な接触がなくとも、勇気を出して表現したアイディアに否定的な態度や言葉をかけられる、トラウマを無理に掘り起こされたり、センシティブな話題に入りすぎるなどすると、精神的(心理的)安全性がありませんね。
ところで、否定には3種類あります。
ひとつめは言語的否定。「はあ?」とか「だめ」とか、そういった言葉としての否定。
ふたつめは態度的否定。腕組みをしたり、眉間に皺がよったり、半笑いで首をかしげたりなど表面に出る否定。
みっつめは集団的否定。特定の人を省いたりする、存在の否定。
あなたが、エチュードが苦手だと思った時、なにかトラウマになったときの場面を思い返すと、こうした否定があったのではないでしょうか。
こういった安全性がないと、傷つく、トラウマになる、だけでなく、人間は「失敗できない」と思ってしまう。失敗できないと、自由な発想を表現できず閉じてしまうし、それが続けば自由な発想すら生まれなくなってしまう。
創造的な発想は失敗が許容される、むしろ歓迎される環境でこそ生まれるのです。ね。そういうことです。
安全性が土台にあるということを全員が共通認識で場をつくることが大切です。こうした場があることで、安心して失敗できますし、自由な発想が生まれやすく、共演者同士の表現と表現が掛け合わさって素晴らしい化学反応が起こります。
②否定しない → Yes, and
「原則」と言っているのに、少し要素が被っている部分がありますが、お許しください。
原則のふたつめは、否定しないということ。共演者の意図を否定せず受け入れることです。
そして、エチュードとして劇を発展させていくために受け入れたあと、自分の発想を足して返す。これを、「Yes, and ing」と言ったりします。
例えば、「おかーさーん!」と入ってきた息子役がいたとして、共演者は、(息子役の演技にもよりますが)「だれなの?息子はいないわよ」と返さないこと。Noを突き返してしまっていますね。
そうではなく、「どうしたの?息子よ!あら怪我してるじゃない!」と返してあげる。「Yes(息子という関係を受け入れる)」+「and(怪我しているという新たな要素を足す)」になっていますよね。
こうして、発想のバトンを繋いていくのです。
また、安心してどんどん発想できる場なのですから、脳の検閲は外して、浮んだままにアウトプットしていきましょう。これが創造の第一歩です。
③楽しむ
原則3つめの、楽しむとは言葉通りです。安全な場で、自由な発想が飛び交う場。この前提条件が揃っていると、怖くはなくなります。あとは、その場で出たお互いの表現を使って、仕掛けたり、乗っかったりしていくだけです。
エチュードの基本的な流れは下記しますが、ここまででもぼんやりお伝えしている通り、特別な発想は不要だということ。そう、ボケなくて良いし、かっこいいこと言おうとしなくていいんです。普通の発想と普通の発想だけで十分に面白いし、楽しめるし、演技の練習になります。
エチュードの流れが分かれば怖くない

エチュードの基本原則が分かったところですが、「やっぱり怖いな」という気持ちが拭えないあなた。台本とは違って、このあとどうなっていくのか分からない不安があるからだと思います。
ご安心下さい。エチュードには、流れがあります。それは、こちらの3段階。
オープニング→ゲーム→オチ
まずは2人エチュードから始めて行きましょう。3人以上になると、いろんな役割を考えながら、複数の共演者のことを考えながら、とよりマルチタスクが増えるので、やることがより高度になりがちです。
共演者が決まったら、観客から「お題」をもらいます。
ここの状況設定の仕方は、役柄ももらう(宇宙飛行士と科学者)、どんな状況かももらう(宇宙に行くのを嫌がる宇宙飛行士とそれをなだめる科学者)など、様々ありますが、本稿では「ピンチ」や「ナイトクラブ」など、基礎となるお題だけをもらうという想定で解説していきます。
①立ち上げ(オープニング)
お題をもらったら、アイディアを思いついた方から始めて行きましょう。
最初は、その2人の関係性が分かるように、多少説明的でも良いのでセリフや動きで、ざっくりと立ち上げていきます。
例えば、
A「あちゃーどうしよう!やっちゃったー!」
B「どうしたのお母さん!」
A「焼いてたパンケーキ10枚床に落としちゃった」
どこで、誰と誰がいて、どんな関係かが分かりますね。何やら、家のキッチンでのお母さんとその子供のやりとりで、なにかが始まりそうだと、観客はワクワクするわけです。
②ゲーム(展開・主題)
立ち上げられた状況を使って何を巡る物語か?が展開していく段階です。何かが起こる状況を作るためには、「Yes, and ing」です。
例えば、
B「お母さん!パンケーキの材料を買ってきたよ。卵と、牛乳と、」
A「ありがとう、あれでも、これウズラの卵じゃない?」
B「え?ウズラじゃなかった?あ、ダチョウの方がよかった?」
A「あ、ダチョウね、大きいからそれでもいいけど、、、、」
B「え、なんの卵がよかったの」
A「ほら、、、、ニワトリ」
B「ニワトリ?ニワトリってなに?」
パンケーキの材料を買ってきたBに対して、「ウズラの卵」という要素を足すA。さらに「ダチョウの卵」と乗っかった上で、「ニワトリを知らない」という要素足すB。こんな具合です。
そうすると、「お母さんがニワトリを知らない子供に対して「ニワトリとはなにか」を一生懸命説明する」というゲームが始まるわけです。別に特別な発想は使っていないのに、面白く発展しているのがわかりますよね。
大事なのは、出てきた情報を“正当化する”という姿勢です。
上記の例で言えば、パンケーキの材料にウズラの卵買ってくる子供がいたら、「ニワトリを知らない」ということにしてしまう。
他にも、水族館にパンダがいたとしても「経営難の水族館なんだ!」ということにすればいいし、ダイエットで亀をひたすらに投げている光景があるならば、伝説の師匠から教わった、ということにすればいい。
『思いついたアイディアがどんなに突拍子もないものだったとしても正当化してしまえばいい』と思えば、自分も相手も思いついたことを臆さず出せますし、安心してどんどんと創造的に発展させることができますよね。
③オチ(終わり)
立ち上がり、ゲームと来て、最後にはオチが来ますが、エチュードにおいて、「完璧な落としどころ」を決める必要はありません。芸人さんみたいな、笑いどころを無理につくることはないのです。
変化が生まれて、空気が変わったら、そこがオチになり得ます。なにかが決まったり、動いたりしたときがオチになりやすいです。
例えば、先ほどのパンケーキ親子の、「ニワトリがなにか」を教えるゲームのあとだったら、
A「ニワトリを捕まえてきて、卵をゲットすればいいのよ」
B「ああそうか、分かった!じゃあ行ってくるね!」
Bが退場
これでオチになります。大層なオチはつけなくて良いですし、独りで決めなくていいものです。
エチュードは、共演者と一緒に流れを育てていくもの。受け入れて、足して、進めることを繰り返して、呼吸のように流れていきましょう。
エチュードは“役を生きる”ための練習になる

ここまでエチュードの基本原則や流れについてご紹介してきました。ここで改めて目的に立ち返っていきます。エチュードはなぜやるかといえば、「役を生きるための練習のため」というものでしたよね。
セリフをセリフのまま読むな
台本のある演技では、登場人物の関係性やセリフはすでに書かれています。
でも、その状況下で「どう感じて」「どう反応するか」までは、俳優の感性に委ねられている部分が多くあります。
そしてそういった部分は、セリフ外での振る舞いや、相手への反応に大きく現われてくるもの。同じ役でも、演じる俳優によって表現が違うのは、そういうところがあるからです。
また、俳優がやってはいけないこととして、「セリフをセリフのまま読む」こと、というのはよく言われることです。
例えば、好意的な「おはよう!」というセリフの中には、「仲良くしようよ」という意味が込められているかもしれませんし、しみじみとした「どこに行こうか」というセリフの中には、「もっと一緒にいたいな」という意味が込められているかもしれません。
台本演劇では、それぞれの役に「こうしたい」という目的があり、役は目的に基づいて行動をしていきます。そこから出てくるセリフは、その役の意図から出てきたものであり、台本に書かれたセリフをそのまま読んでいるものではないわけです。
シチュエーション × 関係性
エチュードをすることによって、役を生きるための感性が鍛わります。
・そのシチュエーションに置かれたとき
・相手との関係性の中で
・自分の中からどんな感情や行動が自然と湧き出るのか
こうした様々な状況下、相手との関係の中で、どう生きるのか、というところを、繰り返し楽しみながら反復していくことで、役の目的を感覚的に理解し、行動する、すなわち「役を生きる」感覚をつかんでいけるのです。
どう?エチュードやりたくなりました?さあ、チャレンジしてみましょう!
まとめ
まとめると、
パンケーキ親子の例は、実際私がやったエチュードでした。ニワトリ知らない子供やるの楽しかったです。
以上です。
コメントを残す