空っぽになって、満たされる

ボクシングが教えてくれた「削ぎ落とす」という感覚
「今日もやりきったぜ」「出し切ったぜ」
ジムの床に座り込んで、タオルで汗をぬぐいながら、心の中でつぶやく。
体はクタクタなのに、気持ちはどこまでも澄んでいて、やけに静か。頭も心も空っぽなのに、なぜだろう、満たされている。
ボクシングはただの殴り合いじゃない。一発一発に、自分の今が全部乗る。
その日のコンディション、気持ちの波、ちょっとした迷い。
ミットを打ちながら、「あ、今の自分、なんか余計なこと考えてたな」って気づく瞬間がある。早く打ちたいとか、強く打ちたいとか、余計なことを考える。
逆に、何も考えず脱力して動けた時は、フォームもきれいでリズムもいい。まるで、自分の内側がそのまま外に出るみたいに。
私はよく、いろんなことを頭の中でぐるぐる考えてしまう。「あれでよかったのかな」とか「もっとこうすべきだったかな」とか。気づけば自分を責める独り言が浮かんでいることもある。
でも、ボクシングをしている時は、そんな雑音がスッと消える。
構えて、動いて、打って、よけて。ただそれだけに集中していると、心の中の「余計なもの」がひとつ、またひとつと削ぎ落とされていく。
終わった後には、何も残っていないような、でも全部あるような、不思議な感覚になる。
空っぽで満たされている。
そんな矛盾のような言葉が、今の私にはぴったりくる。
いつもトレーナーさんはこう言う。
「今日もやりきったねー、ナイスファイトオ」
その言葉を聞く瞬間、ああ、私は今、「ちゃんと生きてる」って思う。
何かを頑張って、ちゃんと疲れて、でも心はすっきりしている。そんな日は、日常の小さなことまで少し違って見える。コンビニの帰り道の風も、空の色も、どこか優しい。
ボクシングは、戦うスポーツだけど、私にとっては「整える」時間でもある。自分を見つめて、自分に還る時間。
ぐるぐる悩んでもいい。落ち込んでもいい。でも、1日の終わりはジムでグローブをつけて、全部出し切って、空っぽになって帰る。
「余計なものを削ぎ落として、本当に大事なものだけを残す」
それって、もしかしたら生き方そのものかもしれない。
明日もまた、ジムに行く。今日より少しだけ、しなやかに、強くなるために。そしてまた、空っぽになって満たされるあの感覚に、会いに行く。
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