善く生きるとは面白く生きること

どうもーたけうちです。

 

この記事はエッセイ的な感じで思ってることをつらつらと書いていきます。私の好きな言葉の解説です。好きな言葉探し中のあなたも、ぜひご参考ください。

善く生きるとは、面白く生きること。

私の好きな言葉にこんな言葉があります。

 

「善く生きるとは面白く生きることだから!」

 

まあこれは知人の言葉ですね。もっと具体的に言えば、演劇サークル時代、自分が参画してなかったNF(京大の学祭)のゲリラ演劇をふらっと観に行ったとき、劇中でヒロインが放った言葉なので、その脚本書いた人(知人)の言葉ってコトです。

 

(森見登美彦氏の『夜は短し歩けよ乙女』をベースにしたオリジナル脚本でした。)

 

なんかね、この言葉えっらい響きました。しかもボディブローのように、年数経ってから効いてきた感じです。

 

善く生きるって、なんだろう?善い生き方ってなんだろう?自分の生き方ってなんだろう?って思いますやん。20歳超えてくると。

それで私も色々本を読みましたが、人に思いやりを持つこと?昨日の自分より成長すること?努力して達成すること?

うーん、そうなんだけど、なんか違う

全部言ってること正しいし真理だし、それを座右の銘にしている人もたくさんいるのだけれど、私としてはどれもしっくり来ませんでした。

しかし、「善く生きるとは面白く生きることだ」というこの言葉を聞いたとき、直感で「おー良い言葉やなあ」と思ったのを覚えています。

それが3年前なんですが、今(2025年)になってふと思い出し、やっぱあの言葉良いよなと。

じゃあなんで良いと思ったのか、ちょっと頑張って言語化してみました。まとまってないかもですがご了承。

善い=面白いの新鮮さ

まず「善さ」と「面白さ」が結びつくのが新鮮。正しいかどうか、役に立つかどうか、そういった基準で物事を考えることが多かった私にとって、「面白く生きることが、善いことなんだよ」という視点は、心のどこかをほっと緩めてくれるような感覚がありました。

そうか、努力ベースの「言葉」がしっくり来なかったのは、既に自分に装備されているものだったからか。成長するとか、頑張るとか、そんなん当たり前だから。

「人生楽しめ」の視点での言葉にはあんまり出会ってこなくて、ふとした瞬間に出会ったのがこの言葉だったわけです。

じゃあ、面白く生きるとは?もう少し言語化してみましょう。

面白く生きるってなんだろう

面白く生きるとは、「楽しい」や「面白い」の感覚を軸に生き、自分が満たされて生きることだと思います。


心がカサカサしていたり、無理をしているとき、人のために何かをしたくても、どこか不自然になってしまう。

でも、ちゃんと自分が満たされていると、コップは溢れて、その“溢れたもの”が自然と他者に向かっていく。それはきっと善い循環になるのだと思います。

感覚を大切に生きる

さて、楽しさや面白さは、頭で考えすぎると感じられません。何か特別な出来事に限らず、日常のふとした瞬間にもひそんでいるものなので、感覚を大事にしていないと、アンテナを張っていないと、キャッチできませんよね。

たとえば、家でおいしく珈琲を淹れられたとき、とか、作ったことがない料理に挑戦してみるときとか。

私だったら、演技のワークショップで新しい役に挑戦してみるときや、何気ない会話の中に意外な発見があったとき。

そういった小さな“楽しい”“面白い”の積み重ねが、心をじんわり満たしてくれる気がします。

楽しいや面白い、は自ら行動したことに対して感じやすいものではありますが、もちろん、いつも前向きで能動的でポジティブでいなくても良い。

嫌だなあ、面倒だなあ、むかつくなあ、どんな感覚、感情も無視せず一度受け止めて、「こんなふうに感じてるんだね」と自分に声をかけてあげることができたら、それもまた“自分を満たす”時間になると思うのです。

感覚や感情が動いたその瞬間を、変化として受け入れる。楽しいことだけじゃなく、戸惑いや苛立ち、不安さえも、“何かが動いている”ということ。だからこそ、どんな感情でも否定せず、「あ、動いたな」と感じること。ジャッジをしない。一定を距離を置いて観察する。それ自体が、面白がることの一歩かもしれません。

違いを面白がる

「違い」をそのまま受け入れるしなやかさ


自分の感覚を肯定して楽しむという話を書いてきましたが、その感覚が誰かと違っていても、どちらが正しい・間違っているではなく、「そう感じる人もいるんだ」と一度まるごと受け取れるしなやかさを持つことも、それは面白いかなと。

相手と自分のあいだに風が通るような、心の余白。これはすごく丁寧で、美しい営み。正しいことを証明する労力を使うよりも、思い通りにならなくて不機嫌になるよりも、なぜ違うのかを観察して対話をしてみる方がより有意な時間を過ごせそうですよね。

そしてこれは、「他人はコントロールできない」という当たり前でありつつ、みんな分かっていないことを受け入れ、自他共に尊重しながら、違うことを面白がってまるっと楽しむということ。この言葉は許しであり、覚悟なのです。

自分勝手とは違う

そして、「自分が満たされること」は、自分勝手とは違うと思っています。むしろその状態でこそ、自然と人に優しくできたり、物事にしなやかに向き合えたりする。

自分勝手な人や思いやりのない人はむしろ自分がどこか満たされておらず他人からそれを得ようとしている可能性がありますよね。

総括

倫理や理想を堅苦しく追い求めるのではなく“面白がること”の中にこそ、善さや美しさが宿っている。「面白がる」という視点は、落ち込んだとき思い通りにいかないときにも、物事をやわらかく受け止めるしなやかさをもたらしてくれるように感じるのです。

正しくあることよりも、「しなやかであること」「満たされていること」「変化をそのまま味わうこと」。それは、ゆるやかで、でも確かに「面白く生きる」ことにつながっている気がしています。

まとめ

まとめると、

抽象的なこと考えて頭パンクしそうなので自分満たすために家系ラーメン食べてきます。

以上です。

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